TV、テレビ、自転車ときどきキッチン

Team 片手業・TV : 新番組、第1話、時代劇、水戸黄門、視聴談など

NHK大河ドラマ『花燃ゆ』の応援Blog。視聴率ジリ貧が気になる…。第1話は言葉で始まり言葉で終わった。

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『海防臆測』 寅次郎はこの書物を、長崎遊学中に熊本藩士宮部鼎蔵から譲り受けた。

 

『花燃ゆ』の視聴談を書こうとネット検索していたら、なんと視聴率が16.7%→13.4%→15.8%→14.4%→12.8%→13.3%→11.6%とジリ貧。
第3話まで見て、内容に満足していただけにショックです。で、タイトルを急遽変更。『花燃ゆ』応援Blogとしました。そうは言っても誉めてばかりはいられませんが、キャスト、スタッフさんの励みになってくれればと願っています。

 

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映画『路傍の石』(1964東映)監督・脚色:家城巳代治

吾一を演じた池田秀一くんと、母・おれんの淡島千景さん。『路傍の石』は『女の一生』『真実一路』などと並んで、作家・山本有三氏の代表作。最近、大学で講師を勤めた知人が「山本有三」の名を挙げたところ、学生たちの誰も知っている者がいなかったそうです。純文学は読まれなくなったようですね。

 

池田秀一くんって知ってる?」と聞いたら、スタッフの一人が「ああ、シャー、ですね」と。
「シャーって何?」今度は私が尋ねた。

 

私が池田秀一くんを、最後に見たのは去年でした。確か、時代劇チャンネルで放映された『大岡越前』(1971年TBS)だったかな。第2部、第4部、第6部の三度出ていますね。その時、「池田秀一くん、最近どうしているのかなあ、TVでは滅多に見なくなった」と、昔見た『次郎物語』(NHK)の1シーンを思い出していました。映画では『路傍の石』の愛川吾一(主役)です。池田秀一くんは天才子役の名を恣(ほしいまま)にした逸材です。その彼を、いつの頃からか見かけなくなり、そのうちに忘れてしまっていました。
しかし、その間、彼は私のすぐ近くで活躍していたのでした。私は仕事でSFやミステリに関係していました。当然、彼が「シャー」の声優として活躍していた『機動戦士ガンダム』関係者とも付き合いがあったわけです。しかし、皮肉なことに、その頃の私にはTVを見るいとまもなく、ガンダムに関しては、グッズがよく売れていることや子どもの遊びで流行っているくらいの知識しかありませんでした。だから、『大岡越前』で見た彼のちょんまげ姿は懐かしかった。

 

前評判の良くない『花燃ゆ』を見ようと思い立った時にはすでに「野山獄」の場面が放映されていました。正直、気が重かったです。しかし、TV視聴談を書くには連続テレビ小説大河ドラマは外せないと決めていたので、思い切らねばなりませんでした。そして、その日、録画していたDISCを挿入すると間もなく、聞き覚えのある懐かしい声でドラマが始まったのです。

 

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『花燃ゆ』(NHK)第1話オープニングの松下村塾

 

今からおよそ160年前、
今の山口県萩市にひとつの小さな私塾があった。
身分に関わらず、
志を持った者たちが学んだこの塾の名は
松下村塾」。
この名もなき若者たちが、
後に「明治維新」と呼ばれる大変革を成し遂げることになる。
彼らが先生と慕った人物こそ、
山鹿流兵学者 吉田松陰
その松蔭を愛し、支えた家族がいた。
歴史に名を残すことはなくとも、
ささやかな暮らしの中で、
代々命をつないげ、
それぞれの人生を力強く生き抜いた人たち。
そして、
多くの若者を育んだ一人の女性。
これは、吉田松陰の妹、文(ふみ)と、
その家族、仲間たちが生きた、
激動の時代の物語である。

 

第一印象が大事と言いますが、このナレーションの池田秀一くんの、男性としてはやや高めの、そしてややハスキーな声に一気に身体の中の何かが呼び起こされた感じがしました。もしかしたら、この声はと、リモコンを操作しました。で、そこに「語り 池田秀一」を見つけたのでした。それが、すべてでした。『平清盛』や『龍馬伝』の時のような「汚い」という悪い印象はなく、少し期待感でドキドキしていました。

 

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『花燃ゆ』(NHK)題字1 蛸が墨を吐いたような

 

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『花燃ゆ』(NHK)題字2 髪の毛が絡(から)まっているような

 

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『花燃ゆ』(NHK)題字3 完成形は墨文字。ポスターなんかでは色がついていたような。まだ、世の中が変革されていない状況を表しているのなら、あまりにもまじめ過ぎて…。

 

放映前からネットや雑誌などで見かけていたので、気になっていたのが「題字」でした。意味で言ってしまえば「花」が「燃える」でしょうか。しかし、これが映像では「花」ではなくなっていました。画面手前から髪の毛みたいな黒いモヤモヤが奥に向かって進んでいき、二転三転の後「花燃ゆ」という題字になる仕掛けになっていました。これを「花」と見た人はどれくらいいるのでしょうか? 私が水の中の水墨として認識できたのは少し後のことで、最初は風呂場の排水溝に溜まった髪の毛のような不潔なものに見えていました。そして、飛び交う黒い鳥。八咫烏(やたがらす)をイメージしたという話を聞きました。作り手が何をイメージしてもかまわないのですが、これも汚くありませんか? 私には空中戦で撃墜された戦闘機が墜落してゆく様に見えました。つまり、これらが汚く見えるのは「水墨」をモティーフにしてあるからだと思います。その必然性があったのでしょうか? 
とは言え、音楽が小気味よく、物語に期待を持たせるものであったために助けられている感じです。音楽はすごく良かった。珍しく「ボーカル(歌)」が入っていました。これが素晴らしい。この歌詞、吉田松陰がその死の直前に書き残した和歌の一つだそうです。「愚かなる吾れをも友とめづ人はわがとも友(ども)とめでよ人々」を元に作り上げたオリジナルの歌詞だとか。歌詞そのものの作詞者はまでは分かりませんでしたが、歌唱者の女性ソプラノは、アニメやゲームの分野でも活躍されている志方あきこ氏です。物語を見たあと、半日くらいは耳朶(じだ)に残っていました。

 

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明治時代、日本に初めて近代サッカーを紹介した中村覚之助氏が、熊野那智大社がある和歌山県那智勝浦町出身だったという縁もあり、勝利に導く神様として日本サッカー協会は「八咫烏」を日本代表チームのシンボルマーク採用しました。

 

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熊野の護符に描かれた八咫烏熊野三山の護符は、図案化された八咫烏が厚手の和紙に墨色で刷られていて、「熊野牛王宝印(くまのごおうほういん)」と呼ばれています。牛王宝印はあらゆる災いを除き病を平癒する護符と崇(あが)められている他に、裏に誓いの言葉を書いて虚偽(うそ)のないことを誓う起請文(きしょうもん)としても使われてきました。源義経が兄頼朝に対する忠誠を牛王宝印に託したり、秀吉が臨終の床で、重臣たちに、秀頼に対する忠誠を牛王宝印を使って約束させたという話は有名です。

 

それにしてもなぜ八咫烏(やたがらす)なのか? 八咫烏はサッカーの日本代表のシンボルでもありますよね。三本足の鴉。八咫烏は日本神話では、神武天皇を大和の橿原(かしはら)まで案内したとされており、導きの神として信仰されている鴉です。このCGの制作者は、


「地上の鹿は主人公・文(ふみ)を表し、文に導かれるように大空へ飛び立っていく八咫烏は墨跡を残しながら、松陰がまいた“種”を各地へ運び、それらが重なって太い流れが生まれると、大地は黄金に輝き花を咲かせ、世界は一変する。」


と語っています。つまり、八咫烏は、神武天皇を勝利に導いたように、吉田松陰の思想を各地に運んでいった「導きの鳥」と言うことでしょうね。それにしてもあのCGは種を蒔いている図に見えますか?
さらに、題字がね。私としては「けれんみ」のない素直な字にして欲しかった。主役が女性なのですから。当然「燃える」イメージはあってしかるべきですが、この『花燃ゆ』の題字は、最近、ゲームソフトなどのタイトルで流行っている「けれん」たっぷりの筆字のようで好ましくありませんでした。書家國重友美さんの内なる声が見たかった。

 

文字つながりでもう一つ。最近、ネットに『海防臆測(かいぼうおくそく)』の和綴じ本の題字についての考察がツイートされていました。ツイートされたのは学者さんです。

 

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」は楽しみにしていますが、幕末の書物の表紙にパソコンの明朝体フォントが使われていたのには当惑しました。美術スタッフに筆文字の書ける人が少なくなっているのではないかと心配します。」

と言うものです。

http://matome.naver.jp/odai/2142121607229541901


是非論はそちらのサイトで行っていただくとして、これに関連した私の考えを述べさせていただきます。

 

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『海防臆測』 (萩図書館)大河ドラマの主人公が吉田松陰の妹「杉文」に決まったことから、萩図書館ではドラマの放映に合わせて、文(楫取美和子)や幕末・明治期の長州藩についての関連図書の展示を行っています。ドラマ中では『海防臆測 全』となっていて、上下合本。

http://www.hagihonjin.co.jp/blog/log/eid427.html

 

この学者さんは二つのことを述べられています。ひとつは、『海防臆測』の題字にフォントが使われていることに当惑している。
もう一つは美術スタッフに筆文字の書ける人が少なくなっているのではないかということです。
確かに、『花燃ゆ』のセット、杉家や野山獄に費やされた時間や知恵に比べると、時代考証はともかく、『海防臆測』は陳腐な模造品を作ったといわれても仕方がないですね。私も、もう少し「らしい書物」にして欲しかったと思います。この稿を書く以前、映画『三丁目の夕日1964』を見ていたのですが、あそこには東京オリンピック当時の町や風俗が再現されています。東京駅には新幹線のホームと「初代 0系」の車体があり、ホームの外には当時を偲ばせる丸の内? がありました。そして、三丁目界隈には看板や貼り紙などにいろんな文字がありました。そのほとんどが「描き文字」でした。その点に感心したものです。当時、活字を使う場合は、一度、清刷りというものを刷って、それを写真撮影して、拡大したり縮小したりしてポスターなどに使っていました。とても面倒でお金がかかる技術だったのです。だから、一般には「描き文字」の方がひと手もあり、安く仕上がったので、オフセット印刷(美術印刷に多い)で活字を使うような事はほとんどありませんでした。だから、映画のセットでフォントを元字にした看板などは使えないのです。細かく見ると、電信柱の住所表示の番地あたりは描き文字ではなくフォントを使ったのではないかと思われますが、恐らく、そうだったとしても「映像の生死」には関わって来ない程度のことです。美術の人は大変だったと思います。しかし、この『海防臆測』の場合は違います。初回のドラマの中で、テーマとも言うべき場所に存在するのです。内部に人材がなければ外部に発注してでも「らしい書物」にして欲しかったです。当初は、そこまで述べるつもりはなかったのですが、ドラマを見て、さらに以下のものを見てしまったからです。

 

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『花燃ゆ』HPの特集内の「花燃ゆの言葉」に取り上げられている画像。額装などして飾れるように高画質の画像が用途に合わせて用意されています。

 

上は『花燃ゆ』HPの「特集」内にある「花燃ゆの言葉」にアップされている画像です。そして、NHK自らが「大切な言葉」として掲げているものの中に「書物の尋常ならざる事」を述べているからです。この言葉は、文(ふみ)が禁書(海防臆測)の出所を口にしなかったために、叔父、玉木文之進から、頬をしたたか殴られ、雨降り注ぐ屋外に放り出されて哀しい思いをしている時に、遊学から戻った寅次郎が、「書物」とは何かを語った言葉でした。書物に携わるひとりとして身の引き締まる言葉でした。その「書物」を安易な技法で制作した美術スタッフへの批判は仕方ないことだと思います。

 

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海防臆測 長崎版。『海防臆測』は昌平坂学問所の教授であった古賀侗庵(佐賀藩士)という儒学者が書いた本で開国を主張し、幕府の外国船打ち払い令を批判していた為に禁書にされた。

http://blogs.yahoo.co.jp/gzmarea/35247639.html

 

私見ですが、あの萩にある『海防臆測』は木活字版ではないかと思います。元字は筆でしょうが、活字化した木版刷りのように見えます。「萩図書館」のものの本文は明らかに木活字印刷のようです。さらに、題字短冊も『海防臆測 上』の3画目の「一」を見る限り木版と推測します。根拠は「一」の字の右肩にウロコ(▲)が書かれているからです。筆写したものは、わざわざそんなことはしないと推測します。木活字で印刷されているのではないかと思われます。江戸期に入り、世の中が安定してくるといろんな書物が出版されるようになりました。論語などのロングセラーものは筆写せずにきちんとした木版(木活字)で印刷されていました。物語の中ではありますが、寅次郎が、文の拾って来た『海防臆測』を破くシーンがあります。そして、すぐに懐から別の『海防臆測』を取り出して、破いても破いても『海防臆測』は無くならないと言い放ちました。つまり、写本ではなく印刷した『海防臆測』が裏ルートで流通していたことを物語っています。事実、「萩図書館の海防臆測」は印刷されたものでした。
一方、「長崎大学付属図書館武藤文庫所蔵」のものは明らかに筆写です。短冊に古賀侗庵自筆稿本とあります。当人が筆で書いた「原稿(草稿?)」というものでしょうか? ともかく、木版印刷ではありません。これが筆字ですね。「萩図書館」のものとは明らかに違います。「いろいろある」みたいです。
だったら、フォントを使ったことに目くじらをたてる事も無く、陳腐なレプリカだってかまわないではないかと思ったりもします。ささいなことに目くじら立てないで、ドラマに集中、というところです。

 

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活字 写植 フォント:左が明治時代につくられた初号活字。ハンコのように押して使うので周りにインキがはみ出て適度な柔らかみをおびます。中は写植の秀英特太明朝体。右はフォントのリュウミンEB。写植とフォントは一定の大きさで作ったモノを拡大または縮小して使用するので、縦横線の太さの比は不変。写植の場合、印画紙に焼くので、これも活字のように柔らかくなります。フォントはデジタルなので最終段階までクリアです。また、活字の場合は大きさ毎に縦横のバランスをとって作っているので、それぞれの大きさでの美しさが現れています。

 

次にこの学者さん「美術スタッフに筆文字の書ける人が少なくなっているのではないかと心配します」と、日本文化に関わる危惧を抱いておられるようです。私もその点は同感です。しかし、日本のグラフィックデザイン界は東京オリンピックを境に劇的に変化しました。技術的にも印刷の主流は「活版印刷」から「オフセット印刷」へ移行しています。それに伴って「活字」から「写植」へと変化しました。さらに「電算写植」からPCの「フォント」へと変化していったのです。江戸期の日本の印刷(一部を除いて)は、瓦版でご存知のように木版でした。元になる絵や字は筆で書かれています。しかし、維新を挟んで西洋から印刷術が入ってきて、それまで不可能だった活版印刷が開発されます。この機に「文字」は「芸術論」で語るものではなく、「記号論」で語るものへと変質していったと思われます。つまり、この時点で、すでに学者さんが危惧されることが現実になっていたのです。それが形としてはっきり現れたのが「写植」でした。つまり、そうした「書」から「字」への変化は描き手の変化でもあるわけで、書家とは言わないまでも「文字を知る人」が描いていた時代から、「造形家」と言われる、その拠って立つところの違うデザイナーによって描かれるものになりました。しかし、それも1980年を境にして次なる時代へと変遷していきます。電算写植からPCの普及によって、美術学校の現場から「文字を描く」授業が省かれ、PCを使った授業が重視されるようになったからです。そして、それはまた、「デザインする」「ものを作る」姿勢の変化にもなりました。つまり、何も無いところから「描く」「作る」という姿勢は失われてゆき、PCフォントやレタリングセット、カット本などから、文字や絵、パターンなどを寄せ集めて紙面を作るという風に変化し、現在、それが定着してしまっています。


NHKのスタッフさんがどれくらいの年齢の方かは存じませんが、恐らく、そうした時代の流れの中で教育を受けてきた方ではないでしょうか。従って、そのスタッフさんは手抜きではなく、ごく普通の仕事として、作られたのではないかと思います。このような場合、「知る者」は「知らない者」をいきなり批判するようなことはせずに、理を解いた方がよろしかったかと思います。次は、NHKのスタッフさんには、もう少し学習して丁寧な仕事をしてくれることを期待しています。そして、「書」を知る人がいなくなっているとしたら、いつの日か天才が現れて文字の救世主となってくれることを切に願っています。「けれん」は不要です。魂こそ待ち望むところです。

 

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『花燃ゆ』(NHK)第1話 明倫館の「守破離」。守破離とは、師匠の言う型を守り行い、自分の型を見いだして完成させ、師を離れ一流一派を為すといった師弟関係での教育進行段階とも言うべきもの。

 

次も文字の話です。第1話は表のテーマが「人むすぶ妹」ですが、裏のテーマは「人は何のために学ぶのか」です。つまり「学問」=「書物」という図式ですから、形を変えて文字が沢山出てきます。『海防臆測』はその中の重要な材料のひとつでした。上でオープニングの題字の事を述べましたが、あの中に小さな字が乱舞しています。文字は吉田松陰直筆の書だとか。さらに明倫館の講堂というのでしょうか、大広間に「守破離」と大書された扁額がありますね。ロケは萩の明倫館だそうですが、もともと掛かっていたものなのでしょうか? おそらくそうなのでしょうね。


もう30年も前の話ですが太極拳で著名な先生に取材させてもらったことがあります。いろいろ教わったのですが、それらは今はもう靄(もや)の彼方。「守破離」と言う言葉だけが印象深く残っています。
守=先生の教え(=型)を「守」る
破=自分に合ったより良い方法(=型)を見出し、先生の教え(=型)を「破」る
離=それらの段階を通過し、何物にもとらわれない境地。型から自由になり、型から「離れ」て自在になる。
という、日本での茶道、武道、芸術等における師弟関係のあり方のひとつです。

 

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明倫館小学校。Blog「くり坊のひとりごと」に掲載されている明倫小学校。門柱が櫓(やぐら)に見立ててあるのかな。中に見えるのが校舎ですが、これが4棟並んだ姿は壮観です。ここで今でも小学生が学んでいるのです。

http://plaza.rakuten.co.jp/sagojyo5/diary/200908030000/

 

さて、その明倫館の敷地内に小学校があり、そこでは毎朝、吉田松陰の言葉を朗読しているそうです。 「孔孟余話」「士規七則」など松陰の著作の中から、人としてのいき方、親を敬う心、 読書の重要性などの観点で選ばれた言葉を、1学期にひとつずつ、1年で3つ。6年間で18の言葉をひたすら、毎朝、繰り返して唱えるのだそうです。今もなお松陰の精神が受け継がれているわけですね。松陰の教えは今も萩に息づいています。

 

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かつての会津藩校・日新館では現在、坐禅、茶道、赤ベコ 絵付け、起上がり小法師 絵付け、絵皿(焼物)、弓道薙刀など、会津の文化や武道が体験できます。

http://www.nisshinkan.jp/about

 

『八重の桜』を思い出しませんか? 会津では日新館という藩校があって、会津藩士の子弟は10歳になると入学しました。そして「ならぬことはならぬものです」という「什(じゅう)の掟」は日新館へ入学する前の子供たちの心得だったそうです。奇しくも時代は幕末。討った側と討たれた側の双方に、後世に残しておきたい言葉があったと言うのは偶然だったのでしょうか。


最後に、今でも明倫館小学校の5年生が毎朝朗読しているという松陰が最も愛した言葉と、会津の「什の掟」を朗読してBlogを閉じます。

 

誠は天の道なり
誠を思うは人の道なり
至誠にして動かざる者は
未だ之れあらざるなり
誠ならずして
未だ能く動かす者はあらざるなり

ー『孟子』離婁(りろう)上ー


〔解釈〕
こちらがこの上もない誠の心を尽くしても、
感動しなかったという人にはいまだあったためしがない。
誠を尽くせば、人は必ず心動かされる。

 

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ


一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ


一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ


一、弱い者をいぢめてはなりませぬ


一、戸外で物を食べてはなりませぬ


一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

会津什の掟」ー

  

—Akitsu

 

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