TV、テレビ、自転車ときどきキッチン

Team 片手業・TV : 新番組、第1話、時代劇、水戸黄門、視聴談など

なぜ、『ぼんくら』『大岡越前』、NHK時代劇が面白くないのか…

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『ぼんくら』

http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/bonkura/

 

1949年生まれの私は、水戸黄門が始まった年は受験のために上京し、姉の家に下宿していて、甥や姪の見るTVにつき合わされていまして、もっぱら「ケンちゃんシリーズ」でした。当時は『ジャンケンケンちゃん』だったかな。その後の数年は、アパート暮らしでTVは持っていなかったので、ポータブルプレーヤーやトランジスタラジオで、音楽三昧の日々でした。これが、私だけでなく、当時の若者の日常で、水戸黄門なんて見る者は少なかった。
その後もデザイナーとしての修行時代を過ごし、駆け出しの貧乏暇なしでしたからほとんど、水戸黄門どころか、時代劇すら見る事ができませんでした。
だから、デジタル時代の再放送は初めて見るものも多く、それもデジタルリマスターだから重ねて嬉しい。

時代劇が自由に見られるようになり、ブックデザインという仕事で覚えた歴史の面白さや、日本文化の素晴らしさを知り、私は時代劇を通して、昔のホントもウソも受け容れて楽しんでいました。しかし、それもつかの間、民放各社が時代劇枠をなくしてしまいました。私も、常々、時代劇では視聴率が稼げない。スポンサーがつかないだろうなどと、推測してはいたけれど、時代劇は日本人の心の拠り所。だから、(各社は)無くさないとタカをくくっていた部分もあり、時代劇が無くなった現実がショックで、大げさに言うと「日本文化の行く末」がおぼつかないものにも思えてきたのです。

 

時代劇を見ていていつも思うことがあります。
「このわらじは誰がいくらで作っているのだろう?」「商売にはなりそうもない」
また、「さっきの侍が斬り落とした呑み屋の提灯の字は誰が書いたのだろう?」
などと、時代劇で使われる生活の道具などを未だに作っている人がいて、時代劇が無くなる事で、その方たちの生活の行く末が思いやられるのです。

 

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時代劇のそば屋の提灯(楚者處・そばどころ)

 

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時代劇の長屋の玄関の油障子は看板も兼ねている。

 

わらじや提灯はまだましかもしれないですね。一時期の民芸ブームは下火でも、現代でも使おうと思えば使えるし、飾りにもできます。だから、何かの生業の傍らで細々とでも作る事はできるかもと、楽観もできます。しかし、深編み笠はどうだ? 虚無僧の天蓋(てんがい)は? 深編み笠は何種類かあるようですね。ホントに深いもの、周りのワラの長さが長いものや、浅いもの。どれも現代において実用的ではないし、飾りにもなりませんね。虚無僧姿のお坊さんもほとんど見かけなくなりました。下駄を作る人、髪結いの人などは、現在は希少価値ですね。時代劇を見ていて、人通りの多いシーンや、祭りの盆踊りのシーンで踊りを踊る人々は、当然、全てが日本髪だし、ちょんまげですよね。あれって、自前ではないでしょう。すべて、制作会社が準備しているものだと思うと、並大抵の制作費ではありませんね。その仕事がなくなる訳です。髪結いさんの経済は大変です。

また、和服の着こなしは言うの及ばず、「敷居を踏んではなりませぬ」とか「畳の縁…」とかを含め、お辞儀の仕方など、おそらく室町時代から伝わる所作などは、すでに生活環境が変わってしまった現代劇では見る事も少なくなってしまいました。今、NHKの朝ドラ『マッサン』で、スコットランド出身のエリーが、政春の姉役、西田尚美に指導を受けるシーンがありました。大正時代末期だけれども、あれもすでに時代劇ですよね。そういうシーンもますます少なくなる事でしょう。

 

映画やTVの時代劇が基幹産業であれば、国は関連産業? を担う職人さんたちを放ってはおかないでしょうが、一般的に言って、時代劇、つまり映画やTV、舞台などは趣味、娯楽、道楽、の範疇でしか捉えられていませんね。だから、視聴率が落ち、スポンサーがつかなくなると、真っ先に「カット」されてしまう運命なのです。「美しい日本」などと奇麗ごとを言うどこの国かの総理は、この現状をどう見ていますかね。見ていないでしょう。そんな、偽善者が国の舵取りをしているのだから、美しかった、美しさを作り上げてきたその昔の文化を国は救ってはくれそうにもないですね。

 

そんな中でNHKだけが、今でも時代劇を作り続けてくれている。さすが、国営? と頼もしくも思えるのです。最近はCAL(かつて水戸黄門大岡越前などを製作していた)などと提携して、セットごとスタッフも協力して頑張ってくれているのが頼みの綱です。

 

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高島礼子版・『御宿かわせみ2003年~2005年に放映された。

http://www.nhk.or.jp/drama/pastprog/kawasemi.html

 

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『春が来た』ひょうきんな西田、ぶっきらぼうな仲代。謎の女(南野陽子)が、

奇妙なドラマを展開した。

http://www.nhk.or.jp/drama/archives/harugakita/


NHK時代劇といえば、かつては島田省吾さんの『十時半睡(とときはんすい)事件帖』が記憶に鮮明です。チャンバラこそありませんが、現代に通じる時代劇でした。チャンバラに頼らない新しい時代劇だったと言えます。とても新鮮で心に残るものでした。『御宿かわせみ』『腕におぼえあり』『清左衛門残日録』『春が来た』『とおりゃんせ~深川人情澪通』、珍しく京都が舞台の『はんなり菊太郎』などはどれも記憶に新しい面白い時代劇でした。『天晴れ 夜十郎』では、阿部寛さんは今話題の『テルマオエ』を先取りしてましたね。『慶次郎縁側日記』の高橋英樹さんと石橋蓮司さんの掛け合いは面白かったです。『柳生十兵衛七番勝負』はチャンバラものとは言え、単なるエンターテイメントで終わる事なく、本格時代小説家・津本陽の香りをしっかりと出してくれていました。

 

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陽炎の辻

http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/kagerou/

 

最近では『陽炎の辻』。原作は読んでいなかったのですが、最初は藤沢周平のまがい物? とさえ思ったほどのものでした。しかし、下手だ下手だと思っていた由蔵役の近藤正臣さんがいい味を出してくれて嬉しくなりました。主役の山本耕史くんの爽やかさも、胸に詰まっている現代の垢を洗い流してくれたような気がします。中越さんとのきわどい関係にも揺さぶられました。今津屋吉右衛門渡辺いっけいさんに至っては、うるさいばかりの役者というイメージ(ごめんなさい!)が払拭されました。まだまだ、調べれば。これもいい、あれもいいになりそうです。どれをとっても時代劇である前に、ドラマとして面白かったですね。こう思い出せるままに並べてきましたが、『十時半睡事件帖』は、1994年9月から23回放送されていますから、この二十年間でざっと、私の個人的記憶だけでもこれだけの「面白い時代劇がありました」。

 

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『吉原裏童心』

http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/yoshiwara/


しかし、その後、「お槍拝借」を最後に不作(私が面白くない作品)が続いています。『陽炎…』が当たったからでしょうか、佐伯泰江さんの作品が多いような気がします。つい先頃まで放映されていた『吉原裏同心』は、タイトルの描き文字の貧相なことが全てを表していますね。私に描かせて欲しかった(笑)。まず、小出恵介くんの殺陣がねえ。原作では、すごい剣の達人らしいけれど、小出くんは不器用というか、見ていて恥ずかしくなるくらい様になっていませんでしたよ。彼は「ROOKIES」や「JIN」など、目だった所で活躍していますが、少なくともこの手の時代劇はやらない方がいいと思いました。下手です。『妻はくの一』というのもありました。『てっぱん』以来、瀧本美織さんのファンだから期待していたのですが、染五郎くんが歌舞伎臭かった。あれが「最終章」まで作られたのは、特撮があったからではないでしょうか? これも微妙な出来の『猿飛三世』。このアクションが面白かった。『妻はくの一』『猿飛三世』は特撮(アクション?)で救われました。

 

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『ぼんくら』の異能の子・弓の助とおでこ

http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/bonkura/html_bonkura_cast.html


宮部みゆきさんの作品も多いですね。「おそろしや」は全く興味の外の内容でしたから多くは語りませんが、一話だけを見た感想では最悪。原作は面白いのかもしれません。少なくとも宮部ワールドは存在すると想像できます。しかし、TVドラマは面白くなかった。脚本のせいですか? 監督が悪いのでしょうか? もしかして、プロデューサー? 少なくとも小出くんのような下手な役者は出ていなかったと記憶しています。さらに、今、放映中の「ぼんくら」に至っては、異能の子が二人出てきますが、宮部みゆきの本領発揮と思いきや、わけが分かりません。ただ今、妖怪ブームですが、昔から妖怪、おばけなど、日本人は異能の生きもの? が大好きなのです。宮部さんもその種の人なのでしょうね(どちら側かは言わぬが仏ですが)。しかし、人間と妖怪? の狭間を生きている微妙な生きものが描かれていて、宮部作品の面白さは増すものだと思います。しかし、単なる推理ものになってしまっています。だったら、西村京太郎さんの本を使えばいいとも思います。宮部さんの原作で作る必要はなかったかと思うのです。

 

それでも、時代劇好き(決してチャンバラが好きではない)の私は、NHKの「木曜時代劇?」「金曜時代劇?」を探し当てては録画して時間を費やしています。私はBLOGを初めた時に「悪口は書かない」と決めていた。だから「批判」も書きたくなかった。しかし、今日、そのことに気づいてしまったから、書かざるを得なくなりました。前置きが長くなりました。以降が本題です。

 

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大岡越前2』

http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/oooka2/

 

今日、見たのは「大岡越前」。TBS時代のように24話とかいう長いクールで作られているのではなく、10回ずつ小刻みに作って放映しているようです。失敗を恐れてでしょうか? 役者さんが長く京都にいられないからでしょうか? 内容は昔のものの焼き直し。それはそれで、役者が代われば味も違うし、元々、TBS 月曜日午後8時枠の時代劇はそうした作りでした。だから否やはありません。

 

では批判の対象となるのは何か?
今日、見たのは「嘘つきばあさん」と言うのでした。中村玉緒さん。いい味出ていましたよ。大映の当時の可憐さは微塵もない。ばばあを演じていました。素敵な役者さんですね。高橋長英さんも地味ながら、若い頃から年齢相応の役柄を経験してきて、当時は頼りなくも見えたけれど、今はもう存在が台詞のようなたたずまいを表現しておられる。しかし、響き合っていないのはなぜでしょうか? 東山くんはどう? タレント派遣事務所が送り込む若者に比べると、まだマシかもしれないけれど、どうしても、加藤剛の「越前」の落ち着きや間の取り方と比べてしまいます。東山くん、全てが「負け」なのです。

 

昔の映画ですが、松本清張原作による『影の車』で、加藤さんは主演しています。その折の話ですが、加藤さんは役作りの構想を提案するレポートを毎日書いて、監督に採用された事があるそうです。東山くんはどんな越前をやりたいのかな? 東山くんには、春日太一くん(時代劇・映画史研究家)の言う「作り込み」というものが見えないのです。加藤さんは、長くやっているからうまくなったのではないですよ。第一話から見てきましたが、すでに、十分な役者でした。『砂の器』は言うに及ばず、その『影の車』では、危うい若者を演じています。善か悪か定かでない狭間で蠢く精神状態を、彼は見事に演じていました。ぞくっと、鳥肌が立ちましたよ。東山くんは平和にしか見えない所が、平和な越前を演じきれていないゆえんだと思います。役作りを精進して欲しい。 

源さんの娘であり、伊織の許嫁(または妻)の千春に生活感がない。彼女だけではありません。岡っ引きの辰はお花といい仲(もしくはかみさん)なのですが、そんな関係はどこにも描かれていません。同心の立花喬之助は千鶴(舟倉由佑子)という姉に育てられているシスターズコンプレックスの若者でしたが、ここでは「役」が存在するだけで、印象が薄い。また、筧陣内にしても、かつては本所奉行所から南に移ってきて、ひと悶着起こしたほどの癖の強い若者ですが、ここではそんな性格は微塵も見られません。まるで置物みたいです。

狸の亭主、猿(ましら)の三次はかつては鼠小僧ばりの義賊だった。改心して越前の手先となっています。松山英太郎さんの三次は、その過去はともかく、表の暗さというか、明るい暗さがあって面白かった。しかし、現在の近藤芳正さん演じる三次にそんな陰はみじんもない。陰もないけれど「ましら(猿)感」も全くない、普通の、呑み屋の亭主なのです。ここでも、猿(ましら)の三次を再現して欲しいわけではありません。ドラマを息づかせるには脚本にある筋立てだけでは足りないと思うのです。先に語った役の「作り込み」。一人一人にそれが見えないのです。すっとびの辰三(石井正則)や勘太(柄本時生)はいても、高橋元太郎や谷勘一のような芸達者がいない。味も素っ気もありません。役者同士が響き合わない、脂っ気も何もない、パサパサした時代劇です。

新しくするために、昔の『大岡越前』の人間関係をリセットしたのならそれはそれでいいのです。しかし、その結果、筋立てしかない、薄っぺらなドラマになってしまっているのではないでしょうか。これでは「日本文化危うし」以前の話ですよ。少しだけですが、救いがあるとしたら、吉宗役の平岳大の演技が好ましいのと、デジタルリマスターではなく、まぎれもなくデジタルの、それもハイビジョン放送で映像が奇麗ということだけです。

 

先日、そのデジタルリマスターで見たTBS『大岡越前』10部で、この部から越前の妻役で出演している平淑恵さんの襟元に小さなほくろを二つを見つけました。ドキドキしました。「デジタルや良し」ですね。このように映像が美しく、鮮明になると、見えるのはほくろどころではありません。「ドラマに何もない」事までもが見えてしまうから怖いのです。そうでしょう、出演者のみなさん。

 

先人は、あなたたちと同じ脚本で見る人を揺さぶり続けました。それが何故であったかを、役者のみなさんは言うに及ばず、プロデューサーさま、脚本家さま、監督さまには、特に考えて欲しいものです。平成になって「昭和は熱い」と揶揄する向きもありますが、こうしたモノ作りの場合に、それを言ってはいけないでしょう。熱くならなければ何も伝わりません。民放各社から時代劇が姿を消してしまった今、NHKが最後の砦なのですから、しらーっとしていないで、侃々諤々で仕事をして欲しいものです。

 

—Akitsu

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時代劇ベスト100 (光文社新書)

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